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(23) 連合の排水機場記念碑 :覚路津
石炭汽缶の当時最大クラスの排水機場で、明治43年(1910年)2月着工し同45年(1912年)2月完成。「連合」名の由縁は、結新田、市之瀬新田等5つの普通水利組合の連合体により排水機場を設置したことによる。
国営灌漑排水事業による覚路津排水機場の運転開始昭和57年(1982)に、その役目を終えたが、機場跡地に建設功労者の功績を記した記念碑が、地元有志により建てられた。
新津郷地は信濃川、阿賀野川、小阿賀野川の堤防に囲まれた輪中地帯で、豪雨一度あると,覚路津を最深地に一帯が泥湖になる。しかも信濃川が減水しなければ水門から排水できなく、大洪水の場合は堤防を人力で破って排水していた。明治30年8月7日(1897年)小阿賀野川三蔵池堤(覚路津・市之瀬境)が80間破堤、悪水の停滞は数か月となり下流住民は堤防上に莚掛けして生活したことが伝わっている。
(建設の功労者3人の三郎)
排水機場建設を主導した当時川結村長の松岡酒造三郎は140町歩の財産を郷地の土功事業に費やした。機場と水利改良の設計は、大河津分水建設に貢献した東京大学上野英三郎博士があたり、市之瀬出身の番場甚三郎氏は、明治18年(1885年)の信濃川洪水で覚路津郷が一面濁草根・稗を混食するほどの惨状のなか郷里に帰って、蒸気ポンプによる機械力なくして悪水排除はできないと説明して回った。
(初代排水機) 昭和38年「新津郷治水沿革史」による
大排水機1台 210馬力の石炭汽缶 樫木式水車
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